文化の作られ方

 最近は、仕事の関係で関東の自治体の文化担当の方とお話しさせていただいています。文化担当といいつつ、担当は実際には、経済部だったりまちづくり課、観光課や人口減少対策室だったりするわけですが、このこと自体が、「文化とは何か」を示しているように思います。

 

 純粋に「絵を描きたいなっ」と思って、芸大を目指し、浪人し、入学し、学内で絵を描いている間は、創作は常に創作の中にあった(言い方変かな)けれども、何かそういったことに違和感を覚えて創作活動をやめてみると、我々は社会の中の一員であるし、その中に生かされているということに強く気づかされるのです。

 

 では、芸術家(アーティスト)と、そうではないけれども創作活動を行っている人(非アーティスト)の違いは何かというと、社会に生かされている一市民であっても、それでも社会という枠を超えて、私たちに何某かの希望(必ずしも明るく直線的な未来であるとは限らない)を見せてくれる存在であるかどうか、ということでしょう。

 続けて、文化とアートは違うのでしょうか?

 捉え方によっては地続きであり、一方では全く異なると言えるでしょう。要は、マーケットは全く違うということです。ギャラリストに近年盛んに行われている地域芸術祭の話をすると鼻で笑われるくらい全く違います(マーケットにのるアートという意味ですが)。しかし、異なるということを自覚した上であれば、文化をアートに繋げていくことはできます。なぜなら、アーティストは文化ある社会の中に育ち、アートという商品を生み出していくからです。

 よく音楽一家なんていうのは聞きますが、いろんなアーティストの経歴を見ても、どこかでアートだったりモノづくりだったりに接していることが多くあります。そういったきっかけは大層なアートである必要はありません。しかし、良いアートである必要はあります。良い、とは時代を反映している、ということです。個人的な想いを超えて、作品の存在理由がある、ということです。

 

 さて、表題の「文化の作られ方」というところにやっとこさ戻った話をすると、これこそ、時代をそのまま反映する話です。

 「地方創生」が盛んに唱えられ、地方でも多くの集客力を持つ芸術祭に注目が集まっています。こういった芸術祭を、地方創生の面から見るか芸術振興の面から見るか、そのウェイトは自治体により様々だと思うし、多かれ少なかれどんなアーティストにも芸術至上主義の部分は残っていると思うけれど(そうであって欲しい)、社会はアートを利用し、アーティストは社会のニーズを利用すれば良いのではないでしょうか。どう捉えたいか、というだけの問題です。

 多くの自治体の抱える課題として、「地域で行っている文化芸術祭は年齢層もあがってきて、毎年出品される作品も固定化されてきてしまっている。これまで地域の文化醸成に大きく貢献していただいて大変感謝している。一方でこれからの若い力を育成したいものの、どうすればよいのか分からない」というものがあり、そのためにも地域芸術祭を活用し、若手による地域の文化醸成を行っていきたいという面もあるようです。

 まだ芸術祭ブームは始まったばかり、というよりこういったイベント型のサービスは今後広まっていくでしょう。運営面でも、人手不足の解消や効率化を実現していこうと思うと、必然的にテクノロジーを活用していくことになりますし、これからもっと面白くなると思います。

 

 本質とは普遍的なものだけれども、だからこそ本質はどんな時代にあっても表層を変えて存在します。アートは時代に揉まれて、なんぼ。

ブログ移転

以前、bloggerで書いていたものを以降することにしました。

 

ランニングや山登りが趣味で、トレーニングの記録とあわよくば登山仲間できないかなぁと思って、トレーニングブログを開設したところ、タイムをひたすら分析する独り言みたいな投稿にも関わらず、コメントもらったりして、どこにブログ解説するかによって、だいぶ違うんだなぁ~と実感。

(趣味だから繋がりやすい、ということもあるかもしれないけども。)


人気ブロガーを目指しているわけではないものの、アートに関する情報であったり、これから様々なアートプロジェクトを展開していく中で、情報発信の在り方についてはきちんと考えていいのかなと。

 

うまく使えていないtwitterアカウントはいったん退会したりと、SNSの活用の仕方を考えている今日この頃です。

 

さて、このブログでは引き続きアートに関する情報や、企画しているアートプロジェクトの情報だったりを紹介していきたいと思います。

 

よろしくお願いいたします。

 

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satsukikoguchi.blogspot.jp